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コンウェイ (ニューハンプシャー州) : ミニ英和和英辞書
コンウェイ (ニューハンプシャー州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

コンウェイ (ニューハンプシャー州) : ウィキペディア日本語版
コンウェイ (ニューハンプシャー州)[す, しゅう]

コンウェイ()は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州キャロル郡の町である。2010年国勢調査では、人口10,115 人であり、キャロル郡では最大、かつニューハンプシャー州のラコニア市より北では最大である。キャロル郡人口(47,818人@2010年)の5分の1以上がこの町に住んでいる〔United States Census Bureau, American FactFinder , 2010 Census figures. Retrieved March 23, 2011.〕。町の西部と北部にはホワイト山国立の森の一部が入っている。カセドラル・レッジ(クライマーに人気)とエコー湖が町の西部にある。町内にあるビレッジとしては、コンウェイ(国勢調査指定地域)、ノースコンウェイ、センターコンウェイ、レッドストーン、キアサージと、インターベイルの部分がある〔U.S. Geological Survey North Conway West 7.5 minute topographic map , from Topozone website. Accessed December 24, 2007.〕。
== 歴史 ==

コンウェイとなった地域には昔、アルゴンキン語族の言語を話すアベナキ族インディアンであるペクァケット族が住んでいた。ソコー川沿いで漁労、狩猟、農耕を行い、防御柵の内側にウィグワムを建ててすんでいた。1642年、ニューハンプシャーのエクセターの探検家ダービー・フィールドがカヌーでソコー川を遡り、現在のコンウェイからフライバーグ(メイン州)まで伸びるインディアンの社会、「ピグワケット」を見たことを報告した。ペクァケット族は恐らくヨーロッパ由来の天然痘によってその人口を減らした。1725年5月、ダマーの戦争のときに、マサチューセッツのダンスタブルからジョン・ラブウェルが率いた36名の兵士がペクァケット族と小競り合いを行った。ペクァケットの損失は不明だが、この日の戦闘の結果として、ペクァケット族はこの地域から居なくなることになった。
1765年、ニューハンプシャー植民地総督ベニング・ウェントワースが65人の者が「コンウェイ」を設立するために土地を払い下げた。その名はイギリス陸軍の総司令官ヘンリー・シーモア・コンウェイにちなむものだった。この土地を保つために、ある開拓者は持ち株の50毎に5エーカーを (20,000 m²) を耕す必要があり、しかも5年以内に行う必要があった。1766年に最初の道路が建設された。最初の集会所の建設はレッドストーンで始められた。それが完成されることはなく、夏の間のみ使うことができたので、牧師が来たときに礼拝が行われた。最終的に部分的に完成していた集会所がセンターコンウェイに移された。1775年、町は3つの学校舎を建てるための少額の資金を集めた。その1つはノースコンウェイに建てられた。しかし、1849年までに町は20の学区があるようになっていた。
19世紀半ば、芸術家達がホワイト山地のロマンチックな美しさを発見し、「アーティスト・フォールズ・ブルック」は風景画の絶好の舞台になった。イギリス王エドワード7世ウィンザー城に掲げるホワイト山の絵画12点を買うことになった。ここで活動した画家の中には、アシャー・B・デュランドやベンジャミン・シャンプニーがおり、特にシャンプニーはメインストリートの中央に座っている間にワシントン山を描いたことで知られている。

ポーツマス・グレートフォールズ・アンド・コンウェイ鉄道が1871年にコンウェイを通って開通した。この鉄道はボストン・アンド・メイン鉄道が買収し、ライバルのメイン・セントラル鉄道と町の中で接続された。鉄道はコンウェイから大半が木材と木製品の貨物を運び出し、また観光客を運んできた。19世紀から20世紀には多くの宿屋や酒場が建てられ、観光は今日でも主要産業のままである。1936年、クランモア山で最初のスキー場の影響が始まり、オーストリアハンネス・シュナイダーが1939年にスキー教室を始めた。1959年、カンカマガス・ハイウェイが開通し、コンウェイとリンカンを結んだ。カンカマガス峠を通り、ペナクック族インディアンの酋長にちなんで名付けられ、最高標高は2,850フィート (870 m) あり、ニューハンプシャー州では最も高い所にある舗装済み通過可能な道路となった。
1930年代以降、近くにあるバーリン市の人口が著しく減少した。1930年に20,018人だったものが2010年には半減して10,051人となった。この減少に、コンウェイ町や周辺の町での人口減少も加わり、ニューハンプシャー州北部の他地域よりもコンウェイ地域で高い水準の経済開発を促すことになった。コンウェイは観光に基づいた経済とサービス業の経済がある。2002年時点で、町で最大の雇用主は350人を雇用する記念病院であり、次にコンウェイ教育学区、ハナフォード兄弟社、レッドジャケット・リゾーツ、ウォルマートがある〔http://www.conwaynh.org/Master_Plan/CH_4.htm Town of Conway Master Plan Chapter 4〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コンウェイ (ニューハンプシャー州)」の詳細全文を読む




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